ペンケースの片隅

紙くずを入れがち

思ってたこと

はじめて生理がきたとき、母親に心配された。性別に違和感はないか、気持ち悪くはないかと聞かれた。何を言われているのか、よくわからなかった。

友だちは男の子の方が多かった。よく遊んで、よく喧嘩した。だから言動は他の女の子より数段荒々しかった。

女の子らしくないと言われたとき、特に何も思わなかった。男の子じゃないんだからと言われたとき、居心地が悪かった。

学生の頃好きな人がいた。同い年の女子だった。彼氏ができたことを知らされたとき、周りに心配されるくらい落ち込んだ。

社会人になって好きな人ができた。男の人だった。後輩に相談したとき、今度はちゃんと男ですかと言われた。

女の子なのにどうしてスーツで通勤するの?好きな服で来なよと言われた。男性社員はみんなスーツだし、私の好きなのはスーツだ。

化粧はするんだね、スカート履くんだねと言われた。やったらいけないのだろうか。

好きな人がいるけど、私じゃ幸せにできないだろうなと思う。「幸せにできない」で検索すると、男性心理の解説ばかり出てきた。

こんな感じで生きてきたけど、女として生まれたことに疑問はない。でも女として求められるまま振る舞うことには違和感がある。かと言って男として振る舞うのはもっと違う。男でも女でもないからではなくて、もっとシンプルな考え方をしている。
私はやるべきことと、やらなきゃいけないことと、私のやりたいことしかやらない。やりたくなくてやらなくていいことは絶対やらない。やりたくないから。

やるべきこと、やらなきゃいけないことのうち、やるべき理由が実際は存在しないものがある。それはやらなくていいことだと思う。そしてやりたくないことには、やりたくないという理由が、やりたくないと思った人毎にいろんな根拠をもって、ちゃんとある。

だから、やりたくないことを押し付けられたとき、やりたくないのにやったことを、簡単に環境や性別などのせいにばかりしないでほしい。セクハラやパワハラなんかの一言で片付けないでほしい。それはやらざるを得なかった理由で、やりたくなかったのにやった理由じゃない。

もちろん、そのせいでできないこと、やらされること、期待されてしまうこともたくさんあるけど。でも、違う、性を押し付けられていることが本当の問題じゃない。権力を嵩に断れない状況が全て悪いんじゃない。やりたくないと思う気持ちを最初に潰したのは、やりたくないと思ったその人じゃないのか。自分の気持ちを無視することで、失わない何か、手に入れた何かがあったんじゃないのかと思う。

理解できないその風潮を作ったのは、作っているのは、継承してしまっているのは、やりたくないことをやると決めた自分でもあることを、忘れないでほしい。

やりたくなかったことをやらされた、やらざるを得なかった不快感を語るとき、やりたくなかった理由、それでもやった理由、そっちもちゃんと拾い上げて、語ってほしい。

いつだって、変えることが一番簡単なのは自分だということを、それを誰もが知っていることを、忘れないでほしい。