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ペンケースの片隅

紙くずを入れがち

何者マジでコワイ

nanimono-movie.com

 

みたのは10/20でした。ほんとはすぐにでも感想書けばよかったんですが、部屋に虫入ったりしてそんな余裕がなかった。なのでわりとおぼろげです。ヤッチマッタナー!!

先に結論いうと号泣しました。たぶんその回で泣いてたのわたしだけ。一緒に観に行った友人は「大丈夫?」と声をかけてくれましたが、正直あれは引いていたんだと思う。帰り際、沈黙する友人と涙が止まらない私。喧嘩帰りかよ

なんで泣いてしまったんだろうな~と思いますが、あれはもう完全に反射でした。無理。むしろなんであれで泣かない人がいるんだろうと思うぐらい泣きました。泣きすぎて頭が痛くなったのは久しぶりでした。不安になってツイッターで検索かけたらほかにも泣いてる人がいた。すごくほっとした。ツイッター便利だ。

ということで感想書きました。まとまらないのでほんとに自分用ですが。

以下ネタバレだよ!!!

 

 

泣いたシーンは3つあります。

①精神ぼろぼろの拓人が自分の作った舞台を「おもしろかった」といってもらえたシーン(ここではじめて泣いた)

②拓人が面接でギンジのことをしゃべったシーン(ぼろぼろ泣き出した)

③エンドロール(嗚咽が出始めた)

 

拓人が他人のことを笑ってる、最低だ、と理香に詰め寄られるシーン、私はそんなに怖くなかった。だってみんなやってることだと思うし、自分でもわかってるから。

ああいってる理香ちゃんだっておんなじことやってるんだろう。わざわざ他人のメアドでアカウント検索する当たり相当暇人だ。「何度も読んじゃった」ってこええわ。でも私の周りにもそういう人いる。他人のオープン裏アカウントを酒の肴にする人。自分の裏アカウントをやすやすと他人に教えて、そこに書いたことをばらされて怒る人。

拓人はたぶん自分でも見てもらいたいって思ってたんだろう、だからメアド連携してたし、鍵かけなかった。「あんた自分のツイート好きだもんね」って言われてたけど「当たり前だろ」って思う。自分が生み出したものを嫌いになれるひとなんてそうそういないよ。理香ちゃんだって自分のツイート大好きでしょう。じゃなかったら他人にアカウント教えないよね?

理香ちゃんはきっと頭のいい子だから、そういうのも全部わかってたんだと思う。たぶん、拓人を攻撃しながら、自分をも攻撃してたんだよね。もう、自分のことを何も知らない他人に攻撃されるのは嫌だったんだよね。同じように就活うまくいかない拓人のことをみて、嘲笑いたかっただけじゃない、自分と同じものを見てしまった。理解してしまったんだろうと、そういう風に思いました。ほんとうにかわいそうだった。疲れてしまったんだな。

でも拓人も同じように疲れていた。打ち込めるものがなくて、頼れる人がいなくて、自分のことは否定されて、寄る辺がなかった。そのときに、瑞月から、自分の脚本や舞台を「面白かった」って言ってもらえて、すごくほっとしたんじゃないかなぁ。そういう風に思いました。よくわかりません。拓人と同じタイミングで泣いてたから。こういう癖があるよね、いつもこうだったよね、あの時もこうだったよねって言ってもらえて、拓人はどれだけ救われたんだろう。何かに打ち込んでいた日々と、何にも打ち込めない今とを、誰かにつなげてもらって、「好きだった」「面白かった」って言ってもらえて、自分の立っている場所を教えてもらえた。何も目印もなしにぷかぷか浮かんでいるわけじゃないんだよって、過去とつながっていることを教えてもらえて、ほんとうによかったなって思いました。

そのあとのグループ面接で、おそらく拓人にとっていちばんのしこりだっただろうギンジのことを話はじめたとき。しゃべり方が、言葉遣いが、それまでの拓人のものとはまるで違っていました。ベルトコンベアの流れ作業のようだった言葉選びが、まるで触診みたいな、探り探りのものになっていました。かっこつけの平凡な拓人が、人の前で、自分の一番暗い部分に直結しかねない、ギンジとのこと、ギンジや演劇に抱いている感情と、まっすぐ向き合っているようでした。

まさか面接で初めて向き合ったわけではないと思うんですけど、けれども自分の見たくない部分を確かめるって、きっととてもしんどいことで、キッツイことで、格好悪いことで、でもそれに自分の意志で手を付けた拓人が、私にはとても格好よく見えました。

きっと拓人はほんとうに演劇が好きだったんだろうな。脚本を書くことも。それが当たり前すぎて、気付かなかったんだろうな。毒のあるツイートをたくさんしていたのも、自分のツイートが好きなんでしょうと言われたのも、公開して誰でも見られるようにしていたのも、ものをつくること、他人に見てもらうことがやめられなかったせいだと思う。舞台をつくっているのだから、人間観察は得意なんだろう。人間を描くことも、分析することも、そりゃ得意なんだろう。でもそれはツイッターの、それも毒を吐く裏アカウントという一方向性のツールでは発散しきれなかった。というか、何かを分析して誰かに喜んでもらうために磨き上げた技能ではなかったんだと思う。拓人の分析力は、演劇を通して誰かに何かを拾ってもらうために培ったものなんだとおもう。そして瑞月が拾ってくれて、しかも拓人に届けてくれた。それで一回リセットされて、自分が見えたんじゃないかなぁとか思いました。

エンドロールで号泣したのは、たくさんの名前がながれていったから。この映画に携わってる、ひとりひとりに、私には理解もできない人生が積み重なっているんだと思うと、耐えきれませんでした。劇中で言われてましたが、短い文章から読み取れることなんてたかがしれてる。もっと言うなら、ほかの、発言とか表情とか、そういう表面上に浮かび上がってきたものをいくら読み取ったって、誰かのことなんて何にも理解できない。人間は人間のことを理解できない。自分のことでさえ。自分を見失いかけていた拓人だってそうだ。こんな感想を書いている私だってそうだ。知ったような口を利くしか、結局はできない。世間にはたくさんの人がいるし、そのひとりひとりを理解することは不可能です。

でも、それでも、何かを作りたい、何かを理解したい、そのために情報はすべて分析したいという欲求は、捨てなきゃいけないものだとは思わない。使い方を誤らなければ、足をすくわれて溺れてしまわなければ、武器を持たない拓人のような、私のような人間には、最後のプライドになり得るからです。もちろん、自分の分析は完璧だなんて思いこまない限り。

完璧な理解なんて無理だけれども、映画のラストシーンを見る限り、しばらくは拓人は大丈夫だと思います。強くなった背中を見て、いい映画だなと思いました。また観たい。

 

マジこの映画怖い 書けば書くほど自己紹介になる(笑)