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ペンケースの片隅

紙くずを入れがち

2本目にレッドタートル

みたもの 映画 感想

今日観た2本目の映画、「レッドタートル ある島の物語」の感想記事です。

 

作画だけ期待して行ったんですが、作画はほんとによかった。ほんとよかった。絵本見てるみたいだったし、3DCG?っていうのかな?ぜんぜん違和感なく見れました。3DCGだからいやだなって思ってる人がいたら、そんなん気にしないでいいから!!大丈夫だから!!って言いたいです。

 

話に関しては続きから。

red-turtle.jp

 

とてもヘンな映画でした。

80分のなかで、セリフはひとこともなくて、笑い声や叫び声、どこの国でも共通しているだろうことしかしゃべらない。このひとたちには言葉がないのだろうかと思ったくらいです。家族間のコミュニケーションも、ほとんど表情やふるまいなんかのボディランゲージのみ。

ある意味すごいなと思いました。普通の映画を期待して入ったお客さんは、10分たたずに帰っちゃうんじゃないだろうか。

けれども、話の大まかな流れのようなものは、セリフがなくとも伝わるものなんだなあということがわかりました。

さて。

映像はすっごくよかったんですけど、話としての面白さがほとんどなかったです。

 今何やってるんだろう?

 何を思ってこの行動をとってるんだろう?

 どうしてこうなったんだろう?

そういう当然浮かんでくるはずの疑問への答えが一切ない。だから、見ててしんどい人はたくさんいるんじゃないかなと思います。理由がないことを見続けているのって正直しんどいから。

それはこの話の主人公なのだろう、島に流れ着いてしまった男の人が、何度失敗しても黙々と舟をつくりつづけることからも言えると思う。なにか目的がないと、しんどいんですよね。終わりが見えないというか。

でもその男の人が舟を造るのをやめるんですけど、そのタイミングが、女の人が現れてから。子供ができてからなんて一切そんなことをしてません。たぶん、この島で生きていく理由、目的がうまれたんだろうな。

だからこの映画の狙いは、そのひとつに、自分で意味を見いだせるかっていうところにあるのかもしれないとおもいました。

 

それからもうひとつ。

これが、さっき書いた作り手の狙いに関する考えなんですけど、ほんとうに意味もなく淡々と続いていくことにたいして、どういうふうに処理できるかっていう。それは人それぞれなんですけど。

生きていく意味って、もともとは必要のないものだったんじゃないかなって。ご飯をたべて、はたらいて、寝て、起きて、ご飯を食べる。その繰り返しが生きることの本質なんじゃないかって。考え出せば、ごはんを食べることにも意味はあるし、寝ることにも起きることにもはたらくことにも意味がある。けれどそんなことを考えたって考えなくたって、生きていたらごはんをたべるし、寝るし、起きる。

それでもときどき考えてしまうことなんではないかな。人間が人間だから。勝手に。

太古の人間が神話を生み出したのは、浮かべてしまった答えのない疑問にこたえるためだと思っています。そしてその疑問は、多くは自然のままのものからやってくる。自然に起こる物事に、意味はない。あったとしても、研究調査や知識がなければ推測しかできないですよね。それになんとか回答して、補完して、安心するために神話を作ったのだと思う。答えがなければどうしても考えてしまうから。

人間は意味がないものを意味がないままにしておけない気質を持っている気がします。現に今の私がそうだ。

この映画で、ああやって偶発的な事象を淡々と積み重ねていったのは、そういうものの連続に意味を見出したがる人間の本能、そういうものを超えて存在する、というか続いていく「生きる」ということの本質、その両方を、えぐりだすためだったのかもしれない。考えすぎだといわれがちな私はそんなことを思いました。

 

ほんとうにストーリーが希薄なので、おすすめはあんまりしませんが、気持ちに余裕があるならば、よかったら見てほしい映画です。