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ペンケースの片隅

紙くずを入れがち

シン・ゴジラをようやくみました

今日は暇だったので映画を2本見ました。「シン・ゴジラ」と「レッドタートル」。ブ、ブルジョワだ~~!!

いや~でも昔からの夢だったんですよね! 1日に2本見るの!

感想はというと、疲れました!

やっぱり一本だけ見て静かに考えるほうが性に合ってるのかもしれない。でもなんかの競技みたいだったので、今後も隙と余裕があればやっていきたいです。めざせ3本。トライアスロンかよ

 

さて、こっちはシン・ゴジラの記事です。

例のごとくツイートのまとめとその補足です。続きから。

 

▼見終わってすぐの感想

びっくりするくらい中身なくてわらう

なんか最初のヤツ、みたことあるんだよな・・・なんだろうな・・・でもツチノコっぽかった。ていうかあれをデフォルメして万人受けするかわいいデザインに押し込めたらたぶんポケモンになる

 

▼巨災対が格好良かった

巨災対めっちゃかっこよかったです。なんだろうあのドリームチーム感。すごくわくわくする。ロマンが詰まっている。ゴジラの存在そのものが圧倒的にフィクションなのはわかってるつもりなんだけど、むしろ巨災対こそがあの映画で一番のフィクションであり、理想であり、夢だったなと思いますゴジラは虚構なんですけどね

ちなみに今の下りは見田宗介先生の『社会学入門』からパクりました。つーかキャッチコピー書いた人、絶対この本読んでるだろ。「現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)」ってそれまさに今の時代だよ。ポスト高度経済成長期だわ

 

▼ちょっとまじめな話

まさに冒頭からずっと繰り広げられてきた会議シーンの多さですよね。しきたり・体裁と現状・心情に板挟みになっている。たぶん日本って地理的に、いろんなものを受け入れる最後の地点だったと思うんですけど、そしたらだんだん物事の境界があいまいになっていくじゃないですか。それを憂えた人がずっと昔からたくさんいて、だから基準やルールをたくさん作ってきたと思うんですけど、なぜかあんまり使いこなせてないんですよね。一生懸命考えて作っても時代に合ってないって形骸化したり、逆に必死に解釈を変えることで対応してみたり。それでなんとかなる範囲ならなんとかできるし、実際日本はそれでなんとかしてこれたんだと思う。でもこういうでかい災害が来るとこれまでのことは基本的に足止めでしかなくて、だから打ち破る力が表に出やすくなるんだと思います。巨災対みたいな。

ただ、昔の防災とか復興とかがどういうシステムだったかよくしらないし、現代に関してだって、被災したその場所が、政治経済的に重要、かつ首都圏からの交通の便が良い時に限られるのかもしれないんですけども。

巨災対の人たちがあれだけ格好いいのは自分たち、というか自分自身の正義をもっていて、それにひたすらただ思うがままに従ってるからだと思う。でも基本的に日本社会でそれは必要ない。なんでかというと、わかりやすく言うと輪を乱すから。日本は狭くて、小さくて、自然現象も驚異的で、とてもじゃないけど助け合わないとやっていけない国だから、集団行動がとても大事。とくに文書やら契約やら責任やらが発生する大人の世界ではそれがとっても大事になると思います。そして私はその「社会」に来年から入るわけですが今から大変ビビっております。

でも巨災対の人たちは個人で行動してる人たちが多かったように思います。といっても、目立ってた人たちがトップなだけで、周りにはそれを補佐するような人たちがいたでしょうが。けれども、仕事だからという以上に、自分なりの正義をもってやっていたのは確かだとおもいます。だからこの人たちは子供なんだと思います。周りの大人と付き合うすべをぎりぎりで覚えた、大人の社会でやっていけるようになった子供。それが巨災対のメンバーなんだと思います。首を斜めにふらないような人たちらしいし。

日本人が正義を胸に抱いたところで、ろくなことにはならない。いままで何人もの異端の日本人、正義を追い求めた日本人が存在しました。映画やドラマ、小説などで多くの人に感動を与えています。しかし日本人自体は変わりません。つまりそういうことだと思います。日本社会に正義はいらない。

でもこういう危機的状況では必ず必要になる人たち。それが正義を持った、子供のままの大人、巨災対の人々なんだと思います。もちろん頭脳や技能などがなければただの使えない人なのでしょうが。逆に言えば、万人が正義を持っていなければいけない社会は、常に危機的状況にさらされている社会なのではないか、とも、最近は思います。

まとまりませんが、こんな感じで。

いや~~シン・ゴジラ、面白かったな~~~~!!!!